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「自由とは何か?」の答えを述べよ【自由を愛する人の哲学入門】

更新日:

どーも、ふじです!

 

「自由になりたい」っていう人は多いと思います。でも何をもって自由というのでしょうか。考えたことはありますか?

 

もしも、「これだ!」という意見があるという人は素晴らしいですね。尊敬します。(一度会ってお茶でもしたいです)

 

たぶん、「自由」に憧れつつも、それってまだ考え中だという人がおそらく多いですよね。

 

この「自由」って、かなりあやふやな言葉なので、僕自身も生涯をかけて考えていく必要のあるテーマだと思っているところです。(前置きが長くなりそうな予感がしてきたので、このへんで本題に戻るとしましょう)

 

ということで、自由っていったい何なんだ!ということについて解説していきます。

 

最初に結論から言っておくと、「自由とは○○だ!」みたいに、「これ」という定義はありません。これは「幸福」とか「天気」といった抽象的な概念を扱う言葉だからです。

 

幸せとは、「人間関係が充実していることだ」とか「好きなことができているかどうかだ」みたいに一括りにできないですよね?それと同じで、「自由とは」という質問に対する答えは、その人によって意味が変わってくるところであります。

 

ただ、個人的に自由とは「自分の責任で自由に選べること」ではないかと思っています。なので、何をやっても自由ということではないので誤解のないようにお願いします。このへんの話題については後で深堀りしたいと思います。(僕がここまで「自由」に執着するようになった超個人的な体験談をお話しします。

 

自由ってどんな意味?自由って何?

 

「自由」という言葉の意味は、あいまいながらも一応は定義づけされているので、まずはそちらから見ていくことにしましょう。

自由(じゆう)とは、他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていることをいう。哲学用語。

引用:Wikipedia

誰からも制限されないで、自分の価値観に正直に生きられているといった感じですね。

 

ところで、「自由」って哲学用語なんですよ。知ってましたか?自由という深みに興味を持ってしまったあなたは、じつは哲学者なのかもしれませんね。

 

また、こちらも合わせてご覧ください。豆知識です。

  • 日本語の「自由」という言葉は、ジョン・スチュアート・ミルの「On Liberty(自由論)」の訳語として定着したという意見がある。
  • 漢字の「自由」とは「自らに由る(みずからによる)」という意味で使われる東洋思想の言葉である。
  • 英語では「liberty」や「freedom」と表現される。(どちらも制限されないというニュアンスがある)
  • 自由とは抽象的な概念である。(天気や幸福のように諸要素から構成される)

一部引用:フリー哲学者ネコナガのブログ

 

こんな感じでして、自由にもいろいろあるんだなと理解してもらえればいいかなと思います。

 

ちなみに日本国憲法では「自由」については以下のような感じでまとめられています。ざっと流し読みしてみてください。

【精神的自由】

  • 思想・良心の自由
  • 信教の自由
  • 学問の自由
  • 集会の自由
  • 結社の自由
  • 表現の自由
  • 経済的自由
  • 居住移転の自由
  • 職業選択の自由
  • 外国移住・国籍離脱の自由
  • 人身の自由
  • 奴隷的拘束・苦役からの自由
  • 令状なき不当な勾留など、正当な法的手続を踏まない不当な拘束からの自由
  • 勾留拘束に当たっての法定手続の保障
  • 自由権の濫用はしてはならない(憲法12条)
  • 権利の濫用はこれを許さない(民法1条3項=罰則の適用)

引用:「精神的自由権」コトバンク

 

僕の思考がすでに偏っているためか、「自由っていうのは、あるものの中から自由に選んでいいっていう意味だ!何でもしていいっていうわけじゃないからな!」というふうにとらえました。

 

巷でよく、権利だどうのってうるさい人たちがいますが、国側からすれば「君たちはまず国民の義務を果しなさい」ということでしょうね。まあ、納得です。

 

ところで「権利だ」といって与えてもらうことをいとわない人たちに対して、僕はけっこう苦手意識があります。言葉を選ばずに言うと、見苦しいの一言です。こういう人は不自由でしょうね。自分で自分の人生を切り開けないんだから、自由とは程遠いです。

 

ところで、自由っていう概念はなかなかにつかみどころがなくて、なんだかよく分からないですよね?

 

それはもしかしたら、「自由とは何か?」と考えてしまうこと自体がそもそも違っているのかもしれません。

 

こういう面白い考え方があります。

親指を描きたいなら、親指を描こうとしてはいけません。

親指を描くなら、親指の周りの空間を描きなさい。

―ベティ・エドワーズ

 

この方は、著書「脳の右側で描け」で有名なカリフォルニア大学の美術教師でして、なかなか本質を突いた意見だと思います。つまり、「自由とは何か」ではなく「自由とは何でないか」ということを考えることで、理解が深まるかもしれませんね。

 

自由とは何でないか

 

「自由」については、いろいろな哲学者が生涯をかけて研究してきました。そのため、世の中にはいろいろな「自由論」が展開されています。

 

正直、どれも参考になるのですが、今回は、「自由とは何でないか」ということを考えるにあたって、最も難解な哲学といわれる、ドイツの哲学者ヘーゲルから学んでみたいと思います。

 

ヘーゲルは以下のように言います。

自由とは、何でもやりたい放題できるということではない

⇒いろいろなことがしたい!という欲望に支配されている。欲望のしもべであり、自由とは言えない。

 

自由とは、制限や制約がないことではない

⇒制限がなければ、無限の選択肢の中から選ばないといけないので、とても選べない。自由に選べないのなら自由とは言えない。

参考:苫野一徳.自由はいかに可能かー社会構想のための哲学.2014

 

(ああ、もう、なんだかわけわかんなくなりそう。)

そのへんの細かいところはいいから!って感じですね。とりあえず、これで「完全な自由」はないということが見えてきました。それだけで収穫です。

 

それから、なんでも選び放題ならいいというわけではなく、制限が全くないからと言って自由にはなれないということが分かりました。

 

欲望に支配されているとかどうとか言われてもさっぱりです。ただ、卑しい欲望よりも、より高い欲望に支配された方が人間的と言えましょう。この辺の話はこちらの記事が参考になると思います。

 

自由人になるために長期的視点を持った方がいい理由

(脳の機能に関する進化論的な知識が学べます。)

 

上記の内容をまとめるとこんな感じです。

この章のまとめ

・完全な自由はない
・選択肢が多すぎても少なすぎてもよくない
・本能に従ってただ欲望を満たすのはよくない

 

(このへんは、「選択の科学」で有名なシーナ・アイエンガー教授(コロンビア大学)のジャムの法則でも言われていました。)

 

というところで、

人間として自由になるには、人間性を大事にしつつ、その人の個性や価値観に従ってのびのびと生きるのがよさそうです。

 

そしたらどうすれば人間的なのかというのが気になってきますね?

 

次に進んでみましょう。

 

人間性とは?人間らしさってなんだろう?

 

人間性とは、人間としての本性のことを言います。いわば、人間らしさです。

 

人間らしさと言えば、欲求階層説で有名な人間性心理学の大家アブラハム・マズローが参考になります。

 

こちらの図を見てください。

これは、人間の動機を表したモデルです。(ちょっと文字が見えにくいですね、あと色がエグイことになってますが、これは僕のセンスの問題です。すみません。)

 

下から順に

動機
①生理的欲求 飢え、渇きなど
②安全欲求 安心、安定、危険からの自由を感じること
③所属欲求 他者と親しくすること、受け入れられること、所属すること
④承認欲求 達成すること、有能であること、評価と認証を得ること
⑤認知欲求 知ること、理解すること、探求すること
⑥審美的欲求 調和、秩序、美しさ
⑦自己実現欲求 自分に最も適した達成すべき活動を見つけ、自己の可能性を実現すること

 

となっています。パッと見ても分からないかもしれませんが、①から順番に見ていくと、だんだんと人間に特有の動機(モチベーション)になっていってるのが分かると思います

 

つまり、①の生理的欲求というのは、おなかが減ったから食べたいとか、のどが渇いて水が飲みたいといった動機なので他の動物やトカゲなどの爬虫類でも同じです。

 

より動物的なモチベーションだと言えます。反対に⑦の自己実現欲求というのは人間にしかないモチベーションです。また、審美的欲求や認知欲求なども、他の動物にはないのでより人間らしいモチベーションということになりましょう。

 

そういう意味では、異性から愛されたいとか、結果を出して認められたい、お金持ちになって車や時計を買いたいみたいな動機は、人間性としては次元が低いことだと言えます。(だからと言って悪いことでもないと思います。僕も欲に駆られて高い時計を買ってしまったことがあるので、このステージの人間だったということになりましょう。)

 

この所属や承認の欲求が強いステージにいる人でも、これから成長していけば立派な人間性を持てるようになることでしょう。(ファイトです。)

 

ちなみに、この欲求階層モデルを参考にするのなら、より次元の高いモチベーションである「自己実現」に向かっていくのが人間らしいということになるでしょう。

 

この欲求階層の図を参考にしながら、自分の悩みや意欲は今どのステージにいるのかと考えることが重要です。

 

 

この章のまとめ

人間らしさとは、より高次の欲求(例えば、認知欲求や審美的欲求、自己実現欲求など)がモチベーションとなって行動すること

 

 

自由よりも不自由の方がまだマシ!?

 

自由よりも苦しいながらも不自由な方がまだマシだということもあります。

 

はあ!?んなバカな!!そんなわけあるか!

 

と思うかもしれませんが、事実です。

 

明日いきなり、あなたが会社をクビになった時のことを想像してみてください。仕事がなくなったので、あなたは相当な時間の自由を得られます。また、好きなだけ趣味や娯楽に没頭することができますよね。

 

ただ、あなたは「自由になった!やったぜ!」と喜ぶよりは、むしろ「明日からどうしよう・・・」と途方に暮れるはずです。

 

それは、収入減が途切れてしまうからですよね。やはり生きていくためには最低限の栄養を摂らないといけないし、住む場所も必要になってきます。そうするとお金の問題が付きまとうわけです。

 

ほら、こうなるくらいなら、時間の自由がなくて苦しかったけど、会社員の方がよっぽどよかったと思いますよね。

 

このように、「自由というのはしがらみありき」なんですよね。そのしがらみの中でいかに自由に行動できるかというのがキモになります。

 

また、会社員よりももっと自由になりたいなら、収入減を確保する必要があります。この時にキーワードになってくるのが、副業とか起業という働き方ですよね。つまり、今の自分よりもより高次のステージに行かなきゃいけないわけです。

 

また、先ほどのマズローの欲求階層モデルでいうなら、安全欲求のステージから抜け出すということになりますね。

 

だから、今より自由になりたいなら、自由になるだけのスキルが必要になります。そして自由になるためには努力が必要です。(努力と思わないことでスキルアップすることももちろんできますが、大抵は努力というしがらみにしがみついた方がマシです。)

 

この章のまとめ

今の安全が壊れるくらいなら、不自由な方がまだマシである。また、より自由なステージに行くためには努力が必要になる。

 

自由には責任が伴う

一般的に欧米は自由というイメージがありますよね?でもどうでしょう。病気をしたら自費で治療しないといけないし、日本ではたかが虫歯でも治療費が払えない家庭では割と深刻な問題だったりします。

 

その反面、日本では最低限の医療は受けられるし、困ったときには生活保護が受けられたりもします。(実は昔、子どもの頃に生活保護を受けていた時期があります。一言でいえば不自由でした。)

 

あなたは、どちらがいいですか?

・自由な代わりに保証はない

・自由がない代わりに保証がある

 

どっちにしましょう。

 

ここでは、個人の価値観の違いが出てくると思います。(とはいえ、これは極論であって、実際はほとんどありえない2択なのですが)

 

もしどちらかしか選べないとしたら「僕は自由な方を選びます。」というのは理由がありまして・・・

 

僕は現役の作業療法士のときに療養病棟で働いていたことがあるのですが(何らかの理由で在宅で生活できない人が入院する病棟)、僕の勤めていた病院では寝たきりのお年寄りの方ばかりでした。

 

ご飯が食べられないので一日中、点滴に繋がれていたり(それが毎日続きます)、痰が詰まってしまうので吸引が必要だったりします(鼻や口からカテーテルを入れて吸い取るのですが、想像以上にハードです。これも毎日何回も続きます)

 

もちろん動けないのでトイレやお風呂、着替えなんかも自分でできません。

 

これが、さっきの2択で僕が選ばなかったほうの選択肢「不自由だけど保証がある(とりあえず死なずに生きていることができる)」

 

当時、これが生きている人間なのか?こんなふうになってまで生きていかなければいけないのか?という疑問を抱えていました。先輩や病棟の看護師さんに聞いてみたりもしました。

 

でも納得のいく答えは得られませんでした。そうです。「僕たちは仕事だからやるしかない」「家族の意向には逆らえない」「価値基準は人それぞれ」なんです。(ここらへんのわだかまりは話すと絶望的に長くなるので、今回はスルーしときます。)

 

でも、入院している当の患者さんはというと、、、

 

「死にたいです・・・たすけてください・・・」

「ころしてください・・・」

とある担当患者さんより

 

もう、マジでこんなんばっかりです。何もしてあげれない自分がとても無力でした。これほどまでに手も足も出ないのかと・・・

 

本人は死にたいって言ってるじゃないか、こんなん絶対おかしいだろ。って思ってました。

 

大体、こんなことになるために延命治療があるわけないじゃないか。(中心静脈栄養というのですが、開発者もこんな使い方をされるとは思ってもみなかったそうです。)

 

そのとき思いました「こんな不幸を増やしていいはずがない」「絶対に間違ってる」と。

 

こういう経験があって、僕は「自由」について考えるようになりました。

 

確かに保証や保険があることは安心かもしれない、安全かもしれない。だけど、自分で自分の面倒を見れなくなると、こういう不測の事態というのも起こりうるんだ。

 

僕はこういうふうに「死にたい」「苦しい」と思うようになるくらいだったら、自由になりたい。そのために保証がなくてもかまわないと思いました。(生きるも死ぬもぜんぶ自分で決める)

 

だから、自由の代償として不利益を被るのも含めて自由になりたい。責任は自分自身で取りたいと考えています。

 

あなたは、どうですか?

 

自分の人生の責任を他人任せにした結果、死ぬまで一歩も動けず苦しみたいですか?

 

「ころしてください」とどこの誰かも分からない赤の他人にお願いしたいですか?

 

あなたの価値観に問います。

 

この章のまとめ

自由になる代わりに保証がうけられなかったとしても、自己責任でやりたいことを自由にやった方が幸せなのではないか?

 

僕の意見に対して、賛否両論あるかもしれませんが、一個人の意見として建設的に受け取っていただけることを願います。

 

 

人生はたったの一度きり、なぜ自由を追求しないのか?

価値観は人それぞれです。

 

自由を求める者としては、他人に対して自分の価値観を押し付けるのはあってはならないことだと思います。なぜなら、相手にとっては不自由なことだと思うので。

 

「でも、いいですか。人生は一度きりですよ?」

 

そんな簡単なこと分かってますよね。

 

あなたがあなたとして生まれてきたのには、あなたにしかできない重要なミッションがあるのだと、そう思わないのですか??(スピリチュアルっぽいけど)

 

自己実現に向かってこその人生だとは思いませんか。だから、僕は「人生を自由に生きること」をあなたに提案したいんです。

 

生まれ落ちたこの一生をかけて、特技を磨き、長所を伸ばして、他の誰かでは絶対にできない自分の人生を歩んでほしいと思います。

 

世界中、どこを探しても見つからないような、あなただけの幸せがあると信じています。

 

それでは、また。

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ふじ

(元)経験年数4年のメンタル系作業療法士。パーソナルカウンセリング・コーチングの経験を経て独立。現在、自由人。「個人が自由に生きる」ことをテーマに、メンタルの整え方や心理系スキルについての発信をしています。

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