どんな人生にも、いつか必ず終わりが来る。というのは周知の事実です。
ただ、自分自身の死については、あまり考えている人はいませんし、僕自身も今まで考えていませんでした。
来月はどうしようかとか、来年はどうしようかと「目標」を決めたり「計画」を立てたりするわけですが、
あるとき、ふと思ったんですよね。
そういえば、何のために目標たてたり、計画立ててるんだっけ??と。
あまり深く考えすぎると、迷宮入りしちゃうのでこれくらいにしておくとして、
でも、ざっくりと長期的な目標を決めておく方がよさそうです。
話を戻しますが、
今回お話ししたいことは、「みんな得るものにばっかり興味があるけど、自分自身の死については無頓着だよね?」ということです。
僕も「死」については、一度よく考えておかないとなぁと思いつつ、後回しにしてきました。
皆さんも、この機に一度くらい考えておいた方がいいかもしれませんよ?
明日、急に死なないとも限らないですからね。
無常を観ずるは菩提心の一なり
何か難しい言葉ですが、
それぞれ、菩提心(ぼだいしん)、一(はじめ)と読みます。
これは仏教の言葉で「すべての移り変わりを見つめることは悟り(本当の幸福)を開くために最初にすることですよ」ということを言っています。
無常、つまりは「すべてのことは続かない、必ず終わりがくる」ということなので、本当の幸せについて考えるなら、自分の「死の問題」と向き合わなければいけないということになります。
ちなみに、仏教でいう「本当の幸福」というのは「変わらない幸せ」のことを言います。
なんだか、グッとくるものがありますよね。
要は「死」について考えずに「あれが欲しい」「これが足りない」と目標を立てても1ミリも意味がないよ、ということが言えます。
全てのものは「無常」なので、いつか必ず崩れ去りますから。
僕たちは車が欲しいとか、いい家に住みたいとか、はたまた必要最小限のもので生きていくとか考えたりするものですが、これらは全部「いつかは崩れ去る幸せです」
崩れ去るものをあれこれと集めてもしょうがないですよね。
ところで、ゲームはしたことありますか?
突然セーブしてたデータが消えてなくなってたらどんな気持ちになりますか?
「あの200時間は何だったんだ・・・」ポカーンって感じですよね。
人生も同じです。(人生の場合は一回死んだら終わりですが)
突然データが消えてなくなってた時のことを考えておく必要がありそうな感じがしてきましたね。
ということなので、今一度「死」という問題について考えてみてはどうでしょうか?
それが、出発点です。
今回は、このへんで・・・